
何度も捜していた山川にあるはずの、穴のあいた水タンク跡をようやく探し出すことができた。何度も何度もこの周辺を廻ったり、近くの人に聞いても分からなかったので半ば諦めていたのだけど、ちょうど那覇に出る途中でこの地区を横切った時にふと商店が目に入って、そうだここで聞いてみようと。

出てきたおばさんに、穴のあいた水タンク跡のことを尋ねたら、そんなのはないねぇと言われ、戦争中に・・・と説明したら、あぁ、あれのことね。畑にあるタンクのことかと思ったって。よくわからないけど、すぐそこのグランドに登る坂の途中の右にあるとのこと。ちなみにあとでこの商店の名前を確認しようとクルマから写真撮ったのだけど店名らしきものがない(^^; まぁ必要ないかもしれないけど。

で、坂の上の山川グランドのところにクルマを停めてから捜すことに。間違えてもっと上の横道に入ってしまってしばらくウロウロしてからさらに坂を降りていると、さっきのおばさんが坂を登ってくるじゃないか。なんと心配して案内に出てきてくれたようだ。それでタンク跡まで案内していただく。

こ、これなんだ。うーん、想像してたのと大夫と違う。壁にしか見えないし、この反対側にある道は何度も走っているのだけどバナナの木で隠れているので分からなかったんだろうな。どんな構造になっていたんだろう。四方に壁もあり屋根もあったんだろうか?

昔は大きな水タンクだったんだろうな。おばさんが言うには、昔は兵隊さんがこの近くで勉強していたらしい。
南風原文化センターが出している、山川が語る沖縄戦によると、
字山川の水タンク直撃される水タンクは青年たちのたまり場でした。ある日、上空を偵察機がグルグルまわっていました。まもなくグラマンが飛んできてロケット砲を発射しました。砲弾は水タンクに命中。グラマンが去ったあと水タンクに行ってみると、中は血の海と化し、うめき声がしていました。
とある。
津嘉山にも弾痕の残る石垣があるけど、これも戦争の悲惨さを示すひとつの貴重な資料だな。
ともかく、今まで捜した中では一番苦労したなぁ。

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