
文献によると30近くの壕が掘られたそうだ。軍医・看護婦・衛生兵など450人、ひめゆり学徒隊239人が配置され、数千人もの傷病兵の治療・看護に当たったという。1990年に戦跡としては、全国で初めて南風原町の文化財に指定された。



黄金森陸上競技場の横の道をしばらく行くと24号壕と書かれた小さな標識がある。近くにクルマを停めて、緩やかな斜面を登っていく。緑の木々が鮮かだ。



しばらく行くと沖縄陸軍病院24号壕の入口にたどり着く。現在の出入り口は、崩れてきた天井の土で本来より高い位置になっていて、本来の出入り口はもう少し前方だったらしい。この壕は幅が床面で1.8m、天井部で1.6mで高さは1.8mで32mほど奥に進み左に曲がると4mほどで行き止まりになるが、そから幅1mの細い通路が23号壕へと掘られているそうだ。
未完成ながらも壕の奥では掘る作業は続けられ、常に落盤と酸素不足の危険にさらされ、ロウソクの炎が消えそうになると上着や毛布などをふって空気を送っったそうだ。1945年の4月末には患者の病室としても使われたとある。
私は大学時代に探検部に在籍していたので鍾乳洞には数多く潜り、測量調査とかした経験があるのだけど、洞窟の中は真の闇。明かりを消すとそれこそ目の前にある自分の指さえ全く見えないのだ。暗闇に目が慣れても関係ない。全く光がないから当然のことだけど狭苦しい洞窟の中ではそれだけで一種の恐怖となる。ましてや戦時中だ、ここにいた方達の苦しみや恐怖はいかばかりのものだったろうか。想像を絶するものがあったんだろうなぁとしばし黙祷。



さらに上の方に登っていく。木々は間伐されていてよく手入れされているようだ。木漏れ日が差して喉かな感じ。散策するにはとてもいいかもしれない。頂上付近には慰霊碑なのだろうか、仏の前という石碑がある。






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